惜しくも死亡してしまった日本のラッパーを功績や楽曲と共に紹介

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生きている人間である以上、死は早かれ遅かれ残念ながら避けることはできない。

そう頭では理解していても、やはりラッパーが死亡するニュースを目にすると悲しくなる。それもまた人間の摂理だ。

しかし、彼等は過去のレジェンドでも、悲劇の死を遂げた憐れむべき存在でもない。

音楽やHIPHOPへの情熱を持って自分の人生を歩んでシーンで頭角を現し、その影響や魂は現在に至るまで脈々と息づいている。

今回ご紹介するラッパー達を知らない人、最近HIPHOPを聞き始めた人も、もしかしたら彼らの曲・彼等に関係のある曲を耳にしたことがあるかもしれない。

今回は亡くなったラッパーたちがどのような音楽を残したか、今のHIPHOPシーンやアーティストにどんな影響を与えたかについてお伝えしていこうと思う。

注意

本記事でご紹介している楽曲は過去の物が多く、紹介している歌詞以外にも曲中には現在の価値観では不適切・差別的と思われる表現も含まれています。

ホモフォビア(同性愛嫌悪)、ミソジニー(女性嫌悪)、それらを利用したホモソーシャル、セクシズムを賛美・賛同する意思はありません。

しかし、これらはHIPHOPにおいてマッチョイズムやフレックスを際立たせるため、より「リアルでオリジナル」な表現をするために使われやすく、今の楽曲でも同様の表現は多く見受けられます。

HIPHOPの楽曲に、上記の注意書きをするのは「無粋」「行き過ぎたコンプラ」だと感じる方も少なくないかもしれません。

しかし、これからを生きる我々1人1人が学び、考えていくことが大事だと感じています。

TOKONA-X

「伝説的な日本のラッパー」という言葉を聞いて、TOKONA-Xの名前を挙げる人も多いだろう。

TOKONA-Xの生い立ち

TOKONA-Xは愛知県常滑市を拠点に活動したラッパーだ。

生まれ育ちは神奈川県横浜市だが、父の浮気をきっかけに母が薬物に手を出すなど家庭の事情が重なり中学入学前に常滑市に引越し、高校退学後にHIPHOPと出会う。

日本語ラップ黄金世代の1978年生まれで、ステージネームはもちろん常滑市からとられている。読み方はトコナエックス、トコナメの両方。

音韻王者としても共に活動していた刃頭とさんピンCAMP当日にILLMARIACHIを結成し若干17歳ながら前座で出演、名古屋のクルーM.O.S.あるいはM.O.S.A.D.(モサド)の一員としても活躍した。

ソロとILLMARIACHI、M.O.S./M.O.S.A.D.では異なるキャラクターを使い分けていた。

TOKONA-Xを語る時よく「愛知や名古屋のシーンからDEF JAMと契約」と、地方からメジャーレーベルへの契約を果たした成功の証しのように語られるが、TOKONA-XにとってDEF JAMとの契約や東京での成功はリベンジ的な意味合いも持っていたことを見過ごすべきではない。

話はさんピンCAMPが開催された1996年までさかのぼる。

前座としてさんピンCAMPのステージに上がったTOKONA-Xは最初に、「名古屋だがや」と発したという。

もっともこれはBEATKICKSが東京で初めてライブした時のTWIGGYの発言を元にしたものらしいが、地方ごとのコミュニティ形成が今ほど強固でなかった時代に、地元を背負って成功していくという気概が感じられるエピソードであることは間違いない。

参考:ILLMARIACHI|20年の時を経て更新される日本語ラップ史に残る伝説的傑作 | HARDEST MAGAZINE | ハーデストマガジン

自分たちの存在を示そうと意気込んで臨んだ大型ライブだったが、当時知名度もそれほどなかったこともあって思っていたほど観客の反応は得られなかった。

その上、ビデオ化の際には出演部分が全てカットされるという憂き目に合う。

その後、さんピンCAMPや東京へのディス曲を作ったりもしながら、地元愛知を中心に音源リリースやライブを重ねる。

生来持ち合わせていたカリスマ性や人間的な魅力にスキルが加わり、今日まで愛される高いクオリティの名曲の数々を生んだ。

それに伴い人気もどんどん加速していき、ついにTOKONA-Xの名前は全国区になる。

数多くのメジャーレーベルが争奪戦を繰り広げたが、Def Jam Japan(現在のDef Jam Recordings)と契約。

苦渋を飲まされた東京のシーンに、自分のやり方で実力を認めさせた瞬間でもあった。

2004年1月にクラシック「トウカイ×テイオー」をリリースし、これからさらに飛躍するという時に同年11月死去したことが報じられた。

公式からは「夏にかかった熱中症が原因の心停止」と発表されたが、あまりに突然の死であることと、26歳という若さであることから各所から多くの憶測を呼んだ。

ドラッグが原因とか、ビーフ相手とトラブったとか、色々な噂があるがあくまで憶測の域を出ない。

確かなのは死後20年近く経つ今でも多くの人から愛されたこと、歌詞やビートがサンプリングされ新しい楽曲が多く生まれているということだ。

TOKONA-Xの曲

TOKONA-Xの曲で一番有名なのが、「知らざあ言って聞かせやSHOW」だろう。

「トウカイ×テイオー」に先駆けて発売されたシングルで(アルバムには未収録)、MCバトルの現場でビートが使われることも多く若い世代からも人気が高い。

2013年に「トウカイ×テイオー」と共に再発売されたことも話題を呼んだ。

バカヤロウたわけ おみゃあら並べ
お前とお前とお前だ 気を付けして並べ
なにをそんな怒っとんのって
俺にもわからんで 怒っとんだってこと
むずかすぎるぜビジネス 曲かいて歌っとるだけでええだろ
ハラー ニューカマー しつけるカラーグラビア
ショービジネスわからんな
メジャーデビューえりゃあぞゆう
ホントにホントにメジャーこんでもできたゆうの
敵わんて マジ敵ん、敵ん
店先てんで ガランガラン
なら銭置いて帰れー言うの? 女用意して帰れー言うの?
こっちゃ死ぬ気でやっとる知っとる?
ねむたーことやっとんな YOU KNOW

Big Daddy Kane「The Beef Is On」のサンプリングビートをオマージュしたビートに、方言でまくしたてるようなリリックが特徴的だ。

バース2では「におわすネタ ペーターベタベタ なぁなぁ Player Hater へたれのせい」というラインがあるが、Nitro Microphone undergroundの「毒々」ではhookとして使われている。

Def Jamというヒップホップの老舗レーベルから、地元の訛りを前面に押し出し、古典芸能の名セリフをもじったタイトルを付けた曲のリリースは異例だった。(少なくとも当時のメジャーシーンにおいては)

USのヒップホップや和ものサウンド、東西の名作映画などを消化し彼にしかできない方法で表現し、オリジナルな存在であることを改めてシーンに示した。

「トウカイ×テイオー」収録の「H2」は、Def Jam Japanとの契約金で買った愛車のハマー2を歌っている。

まるでジャングルだわな
ここはえらく滑稽
デカく広えーが冷てえ夜景
ミラーすれすれ走る高速は一見
まどわされるてま流れやしねー
大通り飛ばすV8
ビビル歩行者しり目にVサイン
並ぶGクラス目じゃねぃブイブイ
並ぶI'm com'in 乗したるわってまぁ逆ナン待ち
並ぶセレブ見上げる左腕(さわん)タトゥー
寄せに来るニューセルぶん抜くアデュー
目線はまるで4トン車 ナイスビュー俺のニューH2ハマー2

ちなみに、ハマー2は「TOKONA 2020 GT」(ILLMARIACHIの「TOKONA 2000 GT」のリメイク)のリリックビデオにも登場する。

悠々と名古屋の街々をゆくハマー2は、TOKONA-Xそのものを表している。

アルバム内でも名曲とのほまれ高い「Where's my hood at」では、自身の半生や家族、HIPHOPとの出会いについて歌っている。

オリジナル版ではhookを担当しているMACCHOが、2015年版にリミックス版をリリースした。

常滑市に渡る前まで住んでいた横浜で同郷だったTOKONA-Xへ、故人への思いとリスペクトを込めてラップしている。

きっとすれ違ってた あの町の中
一目置かれてた悪ガキ達から
"リュウ"と呼ばれてたそいつは漢だ
タイキやナオキが良く言ってたそれが
古川 竜一 後のTOKONA
13 14の頃から知ってたその名
南区六ッ川 横浜の街でもな
この町の出だ あの
尾張名古屋のBIG若旦那
懐かしさよりもいっつもファンだ
何処か濱の匂いがしたんだ
誇りだぜ同じ時を生きれた時間が
ラッパーてなに?て聞かれたら
最初に挙げる一人
伝説は眠らない
残した言葉に生かされた人の想い背負い

伝説を語り継ぐDJ RYOW

さんピンCAMP当日に結成したILLMARIACHIは、ライブや東京のシーンに対しての思いを込めた「NAGOYA QUEENS」「Younggunz」等を始め、多くの楽曲を制作している。

そんなTOKONA-XやILLMARIACHIの楽曲の数々に、新しい表情を与え続けているのが生前から親交が深かったBALLERSクルーのDJ RYOWだ。

▽『ビートモクソモネェカラキキナ 2016 REMIX feat.般若, 漢 a.k.a. GAMI & R-指定』

「TOKONAIZM」の中のライン「ビートモクソモネェカラキキナ」をタイトルに、「Younggunz」のビートをサンプリングしている。

TOKONA-Xと同じ1978年生まれの般若、漢 a.k.a. GAMIに加え、R-指定が参加している。

▽『博徒2020 feat. “E”qual, SOCKS, ¥ELLOW BUCKS, AK-69, 般若, 孫GONG, R-指定』

「博徒九十七」をサンプリングし、M.O.S.A.D.の“E”qual、生前Kalassy Nikoff名義のアルバム収録曲でTOKONA-Xを客演に迎えたAK-69、同い年の般若、DJ RYOWと親交があるSOCKS、¥ELLOW BUCKS、孫GONG、R-指定と豪華なメンツが集結した。

▽『OUTRO feat. ILL-BOSSTINO』

THA BLUE HERBのILL-BOSSTINO(BOSS THE MC)とTOKONA-Xと言えば、ビーフがあったことを思い出す人も多いだろう。

「EQUIS.EX.X」で強烈なディスをしたことで、当時のヘッズは騒然となった。

この事件始まりは誤解だったそうだが、真相はILL-BOSSTINO本人が詳しく語っている。

数奇な縁で結ばれた2人は、TOKONA-Xの死後10年が経ってからDJ RYOWのアルバム「216」収録の『OUTRO feat. ILL-BOSSTINO』で、奇跡の共演を果たすことになる。

振り返ったらいつだって
玉座に座って見下ろす様な面で
お前は聞くのさ you know who are X?
tokona-x 死にながらうたえ

MAKI THE MAGIC


MAKI THE MAGICは、ラッパー/トラックメイカー/DJ/プロデューサーと多くの才能を持つアーティストだ。

1998年にはCQ(BUDDHA BRAND)、ILLICIT TSUBOIと共にキエるマキュウを結成、4枚のフルアルバム、2枚のベストアルバムが発売された。

キエるマキュウやMAKI THE MAGICの曲を聞いてこなくても、彼がビートを手掛けた楽曲は多くの人が耳にしたことがあるはずだ。

・MICROPHONE PAGER 病む街

・MAKI&TAIKIfeat.M.U.R.O バスドラ発~スネア行

MAKI&TAIKIfeat.MUMMY-D,ZEEBRA 末期症状

など、今日ではクラシック中のクラシックとして語り継がれる曲を手掛けた名クリエイターでもあった。

それまでプロデュース側だったMAKI THE MAGICがラップを本格的に始めたのは、キエるマキュウを結成してからのことだと思われる。

直球勝負 投げる球カーブのダンディズム

I shot ya
1戦 2戦 参戦 なんぼでも受け立つ
舐め立つ 揉まれ立つ いきり立つ
サディズムマジックスナイパー
ハンパなき隣の変質者 略奪者 侵略者
スペースインベーダー 下りなきエレベーター
上りつめる のぼりつめる
お前の背後から狙いすましガンショット

ナンジャイ
Ha ha check it out
百戦錬磨 牙研磨 届かぬ努力に君ジレンマ
直球勝負 投げる球カーブ
俺イズム 夕日が沈む

嚙み付くようなフロウとユーモアと下ネタがふんだんに織り交ぜられたリリック、そして周囲の人から語られるエピソードから「豪快」「破天荒」な人物というイメージを持たれることも多い。

だが、その一方でたいへんな読書家でヴィスコンティの映画を好むエスプリな面もあり、リリックには小説・詩・映画のクラシックからの引用も多く見られる。

キエるマキュウとして最後のアルバムとなった『HAKONIWA』リリース時に、HMVオンラインの『無人島 ~俺の10枚~』企画に参加した時のアルバム紹介文からも彼のロマンと知性が伺える。

人間であれば誰しも色々な表情を持っているものだが、MAKI THE MAGICのそれは一見するとアンビバレントと言えるものだったが、一本筋が通ったこだわりの人だった。

SNSやブログなどで政治思想について積極的に発言することを厭わなかった一方で、楽曲に直接的な政治メッセージを入れることはなかった。

それまでの曲では見られなかったような小節への詰め込み具合、色々な意味で斬新で聞いたらつい笑ってしまうような意表を突かれる表現が満載だったが、確かな目で選んだ楽曲からサンプリングしてビートを作るオーセンティックなHIPHOPの魂を持ち続けていた。

下ネタだらけで聞き流したら笑ってしまうようなリリックの中には、業界の構造についての疑問を投げかける描写もあり、哀愁すら感じるラインもある。

現実にifはないが、もし長生きしていたら多くの人に愛される好好爺になっていただろう。

MAKI THE MAGIC的としか形容できないダンディズムは、今なお多くの人の心をとらえて離さない。

キエるマキュウ

キエるマキュウや、客演の楽曲をいくつか紹介していこうと思う。

▽Cannon キエるマキュウ

『Cannon』は、『HAKONIWA』のトラック11に収録されている楽曲だ。

ちょっとギョっとなるパンチラインが満載だが、MAKI THE MAGIC的ダンディズムが味わえる1曲だ。

バター犬云々の話は、IGGY POPのI wanna be your dogを参考にしたメタファーだそうだ。(ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル 2012年6月30日放送分より)

大の男が揃って弱い者いじめ みじめ
自分の首絞め
お前ら男か チンチンあんのか
暴れんなら銀行襲え Hand up/
言葉たち 急降下爆撃直撃
お前を濡らす言葉の響き
あそこに塗りまくる白い粉
お前のバター犬になりたい
天井桟敷から覗く世界
通ぶっているお前に唾吐く(MAKI THE MAGIC)

ドサンピンブルース Rhymester feat.キエるマキュウ

『ドサンピンブルース』は、かねてより交流のあるRhymesterが2013年にリリースしたアルバム、『ダーティサイエンス』に収録されている。

12曲中5曲はIllicit Tsuboiが、トラック8の『サバイバー』はMAKI THE MAGICがビートメイクしており、一線で活躍し続けるパイオニアたちのパワーが感じられる。HIPHOPの初期衝動感に震災後の時代を反映した名アルバムだ。

銭は無いけど誇りはある
叩けば多少は悪事も出る
そこのサンピン、サンピンって
喧嘩もできねぇ クズが言うな
西早稲田で決闘 今宵 千人切り
いや 十八人切り/
Bの美はブレ無き武士の美
ふんどし締める 日本の美
武士は食わねど高楊枝 ならば
馬鹿とはさみは発情期
決して譲れないぜこの美学
腹は減ってもあそこを磨く

▽S.M.S. - キエるマキュウ

『S.M.S.』が収録されている『DEDICATED TO MAKI THE MAGIC - MAGIC MAGIC MAGIC』は、MAKI THE MAGICの死後に発売されたトリビュートアルバムだ。

盟友のDJ TAIKI、Rhymester、KOHEI JAPAN、DABO、DELI、MSC、韻踏合組合など豪華なメンツが集まったが、『S.M.S.』は最後のトラックとして収録されている。

余談だが、追悼イベントMagic ForeverにもRhymester、キングギドラ、BUDDHA BRAND、スチャダラパー、DABOなどクルーの垣根を越えて多くのレジェンドが集った。

日本語ラップに詳しい人はご存知だろうが、K DUB SHINEとDEV LARGEにはビーフがあった。が、前日に偶然会い、和解をして両者とも追悼イベントに参加したという。

久しぶりにBUDDHA BRANDの『人間発電所』がパフォーマンスされ、それに焦ったRhymesterが『B-BOYイズム』を披露し、イベント当日にMAKI THE MAGICの第三子が生まれたというたという伝説的なエピソードも残っている。

マキ君が俺のケツをひっぱたく

永久不滅の二人だった
けれども俺達でかい星になった
飛雄馬の大リーグボール1号 2号
キエるマキュウ参上
Maki the Magic 振り返って第1球投げました
ストライク デッドボール
花形気取る 明子も見守る
頑固一徹 ちゃぶ台転がす
嘘から出た真 キエるマキュウ
直球勝負のダルビッシュ
ネクストレベルの雲の上
どこへいくのかはタマに聞いてくれ
真実は一つ Don't believe the hype
最期の4番バッターになりてーか
サヨナラか ゲームオーバー
帰ってクソでもしてから寝るか(CQ)

YUSHI

YUSHIはKANDY TOWN、BANKROLLの中心的メンバーで、KINGという愛称でクルーのメンバーやファンから親しまれていた。

初期のSIMI LABにも所属し、オカモトレイジ、オカモトショウ、ハマ・オカモト、ラキタ、呂布と共にズットズレテルズに参加するなど多方面で活躍した。

HIPHOPクルーのリーダー格メンバーというと、クレバーさで人を率いるタイプ、人格や魅力で求心力を発揮するタイプに分かれると思うがYUSHIはまさに後者であったように思う。

有名俳優の息子だから、というわけではなく生まれついてのロックスターのような人だった。

2015年、KANDY TOWNが徐々に注目を集めはじめた時に急逝。クルーだけでなく、HIPHOP界に大きな衝撃を与えた。

KANDYTOWNは元々、BANKROLLとYaBastaという2つのグループが中心になって結成されたクルーで、宇田川町でカルチャーと共に育った最後の世代とも言われる。

結成までのいきさつは、GOTTZがインタビューで語っている。

ズットズレテルズのメンバーでもあり、和光学園の幼馴染でもあるハマ・オカモト、オカモトレイジはYUSHIの人柄について語っている。

良くも悪くも型にはまらずわが道を行く人物という印象を受けるが、音楽に関してもその姿勢は変わらなかったようだ。

幼少期からHIPHOPや、ジャズ・ファンク・ソウルなどに親しんで磨かれたセンスはトラックメイカーとしてのYUSHIのワークスにも、現在のKANDYTOWNの楽曲にも生きている。

KANDYTOWN

YUSHIはKANDYTOWNのコアとなるメンバーであったにも関わらず、参加曲はそれほど多くない。

IO、YOUNG JUJU(現KEIJU)、DONY JOINTが以前インタビューで語ったところによると、気が向いた時に参加するといったスタンスだったようだ。

▽「Check My Ledge」

Lou CourtneyのSince I First Laid Eyes On Youをサンプリングした「Check My Ledge」はIOとYUSHIで制作し、後にYOUNG JUJU(現KEIJU)、Dianが参加してリミックスが作られた。

ラッパー、トラックメイカーだけでなくアートへの情熱も強く、生前に多くのアートワークを残していた。

メジャーデビュー1stアルバム『KANDY TOWN』のジャケットには、YUSHIが描いたアートワークが使用されている。(アートワークが見られるサイトもあったが今は閲覧できない状態になっている)

メンバーとの親交が深いオカモトレイジも制作として携わっており、レーベルとの調整や撮影に尽力したようだ。

▽R.T.N

アルバム『KANDYTOWN』収録の『R.T.N』は人気曲の1つでYUSHIの死後に発表されたものだが、MIKIとYUSHIが制作したトラックを使っている。

熱い土地に憧れた 飛ばす246
Run to da..
check あの娘までのってるぜ
煌びやかな街 踊ってるぜyeah(YUSHI)

▽BANKROLL-KING

「KING」は、クルーのメンバーがYUSHIへ捧げた楽曲だ。

クルーや友人、家族が参加したMVも制作されているが、命日に公開されており普段は見ることができない。

全てのラインがYUSHIへの思いに溢れているので、じっくりと聞いてみて欲しい。

BANKROLL

BANKROLLは2005年にYUSHI、IO、BSC、Ryohu、DONY JOINT、MASATOからなるグループだ。

Neetz, BANKROLL : Still Livin`

そこにV.I.P すぐ掴むぜ
ラップ狂った時光が増すぜ
ステージはバラ色シャンペン
白モエ ドンペリ
キューバの葉巻
ビッチはマイアミ 
クールなシャツで
ゴールドのRayBanから見つめるぜ
掴む最高なカジノな感じ
スタジオ見つめるページは最高(YUSHI)

ズットズレテルズ

先ほども軽く触れたがズットズレテルズは、ドカットカット(YUSHI)、スコポン(オカモトレイジ)、皿・粉(オカモトショウ)、ヒゲメガネ(ハマ・オカモト)、セイマン(ラキタ)、呂布、ひでちゃんからなるバンド。

和光学園の高等学校時代に結成し、卒業後「閃光ライオット」という10代限定のロックフェスに出場。なんでも本来は卒業式のアフターパーティーの時点で解散する予定だったが、フェスの出場は優勝賞金目当てだったそう。

しかし、ユニークなアプローチとメンバー各人の才能と個性から今でも語り継がれるほど存在感を残した。

▽僕の果汁

これは2009年の楽曲だが、古くから日本語ラップを聞いている人はどこか懐かしく感じるかもしれない。

ハマ・オカモト自身による解説によると、バンドメンバーでさんピンCAMPのビデオを見て大胆なサンプリングの仕方に影響を受けたという。

いわゆるミクスチャーではなく、ネタ元を楽器で演奏する人力サンプリングとも言えるアプローチで注目を集めた。

このままパーティだ
俺たちズットズレテルズ
そのカドを曲がれば
果汁100%グルーヴ(hook)

ド!ド!ド!ドカットが
聞く調子の方
ズットズレたダチと
パーティだ今日
逆立ちのまま小田急列車
シモキタで代わり代わり井の頭
瞬きもできねえ ソッコー渋谷
切符はねぇ飛ぶ改札機は
ハッハハッハ!

楽勝すぎてつまらねぇバカ
騒がず沸かすひとまず荒らす
シェイクするケツに釘付けかます
いつもよりは倍 目ん玉垂らす
任せた音はラップで頼んだ(YUSHI)

BUDDHA BRAND的ワードセンスと、死語だが少し青春パンクを思い出させるような若さと勢いが魅力なバースだ。

色々な人がYUSHIとの思い出を振り返って我々リスナーに教えてくれるが、きっと彼の魅力は太陽が照るように、風が吹くように、時には嵐のように言葉では言い表せないものだったのだろう。

Dev Large

Dev Largeは、日本のHIPHOP史において決して無視できない。まさに伝説的な存在だ。

2005年以降はD.L名義を使用していたが、この記事ではDev Largeで統一したいと思う。

日本語ラップのレジェンドグループBUDDHA BRANDのメンバーとして、ラッパーとしてはもちろん、楽曲プロデュースとビートメイクも担当していた。

日本語ラップ黎明期から素晴らしいアーティストが登場していたが、BUDDHA BRANDの登場はそれ以前と以降に明確に分けられるほどの衝撃だった。

「BUDDHA BRANDはアメリカで結成された逆輸入グループ」と簡易的に紹介されることも少なくないが、アメリカでの活動も触れておきたい。

ニューヨークで出会ったNIPPS、CQ、DJ MASTERKEYとグループを結成、「うわさのチャンネル」「NUMB BRAIN」などと変移を経てBUDDHA BRANDでグループ名が定着した。

1993年5月にはThe Notrious BIGがホストのライブイベントに出場し、同年リリースされたUltramagnetic MC's『Two Brothers With Checks』のMVにもカメオ出演している。

Dev Largeは日本での活動を見越しデモテープを一時帰国した際に音楽関係者に配布していた、その後、avexのCutting Edgeと契約し日本に帰国。(Cutting Edgeのレーベルメイトは他にもECD、キミドリ、シャカゾンビ、K DUB SHINE,YOU THE ROCKなどがいた。後にANARCHYが移籍したレーベルでもある。)

「黒船」という曲もあるがシーンに与えた影響を考えれば、まさに眠りを覚ます蒸気船だった。

ただUSHIPHOPを直訳しただけではなく、自分のセンスや日本のコンテンツと融合しBUDDHA BRANDとして消化して日本語化したり、英語と織り交ぜて自在に表現し、そのまま定番の表現になったパンチラインも多い。

1997年にDev Largeが自主レーベルを立ち上げてからは、ソロ活動と並行して積極的にラッパー、シンガーへの客演・楽曲提供・プロデュースも行い、レアな音源を集めたコンピレーションアルバムの監修にも尽力した。

2006年には、名作と名高いソロアルバム「THE ALBUM(ADMONITIONS)」をリリース。ILLMATIC BUDDHA MC’Sとして『TOP OF TOKYO』でアニメ「TOKYO TRIBE2」の主題歌を担当した。

オリジナルな言語センス、フェティッシュ・執念とも言えるほどの音へのこだわりなど、後進アーティストに与えた影響は計り知れない。

DJ MASTERKEYとCQの動画からも、Dev Largeの完璧を求める姿勢が伺える。実際、曲作りの際にぶつかりあったというエピソードも多く語られている。

一方でジャンルや派閥にとらわれずいいと感じたものは認める寛容さも持ち合わせていた。当時ニュースクール勢としてハードコア層から軽んじられることもあったRIP SLYMEの「白日/真昼に見た夢」のトラックを、Dev Largeが絶賛したことは有名だ。

RYO-Zが後に語ったところによると、Dev Largeに呼び出されスチャダラパーのBOSEと3人で曲作りをする話があったという。残念ながら実現することはなかったが、どんな曲になっただろう。そう想像するだけでもワクワクする面子だ。

長年体調不良が囁かれていたが2015年5月に金沢でDJ中に倒れたのち死去したことが公表され、唯一無二のレジェンドの急逝にアーティストもヘッズも深い悲しみに包まれた。

亡くなってから6年以上経った現在でも、Dev Largeをネームドロップしたり、リリックやビートをサンプリングするラッパーは後を絶たない。

▽BUDDHA BRAND 人間発電所

 

人間発電所は説明不要のクラシックだ。あまりに有名な曲だが、Dev LargeやBUDDHA BRANDを語る上で飛ばすことはできない。

  • Aqua Marin-鈴木伊佐武トリオ
  • I still Love you-King James Version
  • Summer Love-Donald Byrd&The Blackbirds
  • 糸杉のある風景-小椋佳

など、東西の楽曲をサンプリングし組み合わせているのだが、ネタ元の組み合わせ方やアレンジの仕方はサンプリングする前にかなり綿密にシミュレーションされていたようだ。

もっとも、当時の機材ではDev Largeの脳内を完全に再現することはできなかったようだが、それでも無類にかっこいい。

粋な男のおでまし
イルで1番いかすMC that's me me
イカれている イっちゃってる 異ノーマル
普通じゃない 並み外れてる!
人とは違う 独創性に富む
雲の上でチル 上にゃ上がいる
つまり俺らBuddha Brand on the next level
凡人の持てぬフロウ持つ魔物

根こそぎ雑魚の芽絶やす
葬る 埋める 有無を言わさぬ
便所コオロギ Kill 真っ二つ
リリシスト気取るフェイクアスへこます
Buddhaの名名乗る奴 落とす地獄
キレてて御免 切捨て御免
Dev Large 真の死の詩の職人
Buddhaの旦那 Bad motherfucka
Sucka焼き尽す I'm like ガスバーナ

全編パンチラインとも言える伝説的なバース、日本語なのに聞いたことのない言葉の組み合わせ方は、日本語ラップヘッズだけでなく洋楽好きの琴線にも触れ、間違いなくシーン拡大の一端を担った。

また、人間発電所は日本で初めてのスムースで明るいweedソングだとも言われている。

 

▽BUDDHA BRAND 天運我に有り(撃つ用意)

1997年11月リリース、その後2003年に再発された『天運我に有り(撃つ用意)』は、NIPPS脱退後初となるシングルだ。

トヨタ ハイラックス ピックアップのCMソングとしても使われ、Dev LargeとCQが出演している。(こちらは公式のチャンネルではないが、企業のデータベースなどもなく稀少性が高いためリンクを貼った)

 

トヨタのCMにラッパーが出るなんて、今から考えても中々ないことだ。

これが俺らの表現方法
果てしなく拡げるこのフィールド
剥き出し 常時闘争本能
無理なし 俺らの辞書に"No"はNo

当たり前の前走るデュオ
クソあちー日本語ラップ代表
常識踏み潰し造る道路
切り込み隊長 Buddha Brand(hook)

俺らに死角など存在しない
曇りなし、なし 雲に架け橋
常に先、先読み今を直視
残す足跡 奇跡の証し

とかく異質はされる排除
だからブチ破る 前例の壁を
この世の習いにおいての常識
ひっくり返す 俺ら流に
合わせる焦点 絞る視点
作る次世代への地雷源
イマジン 今人 yo
自分自身 てめえにとって何が大切か一番
俺にとっての俺節 俺イズム
この世に爪痕残すことにある

『天運我に有り(撃つ用意)』がリリースされた当時、テレビ番組に出演したDev Largeは曲に込めた思いを以下のように語っている。

「目的がある人は人をリードできるけど、目的がない人は人にリードされている。そういった意味で俺達は目的がある、撃つ用意があるといった面をリリックに出した。」

「大人が悪い、政治家が悪いというのは簡単だけど、そうではなくリスナーに考える種を撒いて自分なりの考えを持ってもらって、世の中が変わってくれればいいと思ってる。そういった意味で『切り込み隊長』になろうと思っている。」

ずっと自分だけではなく、シーンのことを考えていた彼の人柄が伺える。

一方で、ヘッズからはNIPPSの不在を惜しむ声も少なくなかった。

メンバーのインタビューを見てみると完璧主義で気分屋な面がネガティブに作用した事も多かったようだ、それはシーンからの期待によるプレッシャーも少なからずあっただろうが、実際、このあたりの時期からグループとしての足並みは徐々にずれ始める。

NIPPS脱退後、CQは1998年にMAKI THE MAGIC、ILLICIT TSUBOIと共にキエるマキュウを結成し、BUDDHA BRANDの活動は以前と比べてスローペースになっていく。

▽大神 大怪我

大神はシャカゾンビ、BUDDHA BRANDからなるスペシャルユニット。

リリースした曲は『大怪我』のみだが、シャカゾンビのシングル『手のひらを太陽に』には『大怪我(輸血 MIX)』、BUDDHA BRANDの『人間発電所~プロローグ~』にはDev Largeがプロデュースした『大怪我(Illjoyntstinkbox)』の2種類のオリジナル版がある。

なお、レコード盤にはどちらのバージョンも収録されており歌詞の規制もない。

1999年に発売された『人間発電所 CLASSIC MIX』にはIlljoyntstinkboxバージョンのトラックにFUSION COREが参加した『大怪我3000』が収録されている。

Dev Largeはこの曲のほかにも、LAMP EYE、BUDDHA BRANDとして計3回さんピンキャンプのステージに立った。

ちなみに、当時日本でのキャリアがまだ浅かったBUDDHA BRANDをトリに推したのは主催者のECDだ。

▽スチャダラパー feat. DEV LARGE, CQ from BUDDHA BRAND/リーグ オブ レジェンド

『リーグ オブ レジェンド』は、2004年発売のスチャダラパーのアルバム「THE 9th SENSE」収録。BUDDHA BRANDからDev LargeとCQが参加している。(2015年にはリマスターし7inch化)

日本語ラップファンはスチャダラパーとBUDDHA BRANDというかなり毛色の違う伝説のグループの共演に大きく湧いた。

いわゆるさんピン組と、スチャダラパー率いるLBは対立構造に仕立てられることが多かったので、意外な組み合わせに映ったのだろう。もともと、交流がありスチャダラはBUDDHA BRANDのファンだったそうだ。

伝説的コラボが実現した『リーグ オブ レジェンド』は、タイトルに恥じないマイクリレーが楽しめる。

一筋縄じゃいかねー手負いの
獣バリの3つ目のバケモノ
ハードコア マイストロ ダイナモ ナスティプロ
ブッダの旦那 カミンバリライノ
アイビーダホルダーオブ偉才 フーズユーまれに見る
イエス アム 持ち主 フレッシュデン エニーエムシーズ
この上なし この前に後に
唯一無二俺はワンアンドオンリ
耳目にヒストリー ベラ跡残し すでに
レジェンド入りして今もなお
いたって異端 スーパー超普遍 依然
自然にスティルステンド頂周辺
譲らず曲げず 貫く隅々
病まず身病ますシエット山ずみ
独断居士 アマ マイティダンディ
シックキング病みダディ ダーティサーティ
声帯模写不可 デヴな声色
ベストにベシャるドラドなコアベロ
デマカセ出し抜くフィンドそのもの
未来永劫抜く度肝レジェンド(Dev Large)

リリックを読んだだけで誰がどこのバースを担当しているか分かるほどそれぞれの個性とスキルが発揮され、トラックもかなりヒリヒリしている。

まだ聞いたことがない人が抱いているイメージとは、いい意味で大きくかけ離れているかもしれない。

 

先ほどBUDDHA BRANDのメンバー間のすれ違いについて触れたが、遺恨を残し不仲になったというわけではなかった。

脱退したNIPPSのソロ曲のプロデュースをしたり、共にm-floの「Dispatch」に客演で参加。その後、BUDDHA BRANDのMC3人でILLMATIC BUDDHA MC’Sを結成し先述の「TOP OF TOKYO」をリリースした。

DJ MASTERKEYとも楽曲に参加するなど、それほど頻繁ではなくとも交流はあったようだ。

Dev Largeが亡くなってから4年後の2019年、NIPPSを含めBUDDHA BRANDは「コードな会話」で活動再開。

Dev Largeのトラックや音声を使用しているため未発表音源またはそれのアレンジだと思うが、まさかのブッダの新譜は衝撃だった。

ネット上では、公式にアップロードされているものや著作権がクレジットされているものは少ないので今回敢えて代表曲であってもプラットフォームに公式で上がっているもの以外フルの楽曲は貼らなかった。

YouTubeで検索して楽しむのも良いが、今の状況が落ち着いたらショップなどでぜひアルバムやレコードを買ってみて欲しい。

トラックが気になったら元ネタとなった曲もチェックしてみるのも楽しいはずだ。もしかしたらお店で一緒になんの情報もなく知らないジャンルでジャケ買いした曲が意外と自分の好みかもしれない。

聞いてみてダメだな、と思っても何か月後か何年後、ふとした瞬間に驚くほど輝いて聞こえるかもしれない。

そうしてアーティストや楽曲へリスペクトを持ってdigる行為は、まさにDev Largeが生涯愛した楽しみなのだ。

ECD

ECDは、1960年東京都生まれのラッパー/プロデューサー/DJ/分筆家だ。

80年代初頭からHIPHOPを聞いていたそうだが、自分でラップを始めたきっかけは1986年RUN DMCの来日公演だった。

当時、佐野元春、いとうせいこう、高木完など、すでにラップを採り入れているアーティストは存在した。

もちろん彼等は先駆者としてリスペクトされているが、キャリアに関して言えばそれ以前にロックバンドなどで知名度があり、「有名な人がラップをした」のであって「ラッパーとして有名になった」わけではなかった。

ECDは、日本でラッパーとして知名度を上げた最初の人だっただろう。その後、後進アーティストが続々と誕生したが、日本語ラップ黎明期から若手をリードする立場にあった。

CHECK YOUR MIKEやさんピンキャンプの主催、ヒップホップイベントの審査員なども務めたほか、スチャダラパーのデモを見出したり、Lamp Eyeに資金を工面したり、BUDDHA BRANDをフックアップしたエピソードは有名だ。

様々な思いからラップから離れた時期もあるが音源リリースはコンスタントに行い、ECD名義のオリジナルアルバムだけでも17枚リリースしている。

USHIPHOPをいち早く聞いていたECDだが、ラップスタイルはUS直系でスキル勝負というよりもHIPHOPの核となる部分、つまり時代の空気を反映し、フレッシュでありつつ、クラシックへの深いリスペクトを持つという構造を日本にもたらした。

2014年リリースの『憧れのニューエラ』では、自らのHIPHOP遍歴をファッションに照らし合わせて振り返るユニークなリリックに注目したい。

ひたすら誰かのマネしたあの頃
L.Lが着てたフィラのポロ
アビアのスニーカー誰だったっけな
ラキムだっけかいやターミネーターX
ウィゴナゲッチョーのジャケか
裏ジャケや洋書に張るアンテナ

たしかラップアタック ビズの ピンナップ
初めてティンバ履いてるの見た
必死で捜して見つけて買った
ティンバ履いたのムロより早かった

それがなによりの自慢なにしろ
街で一番目立ってたムロ
ラップ始める前からその顔
渋谷で見ない日なかったくらい
トゥループで全身スゲーと思ったら
次見かけたらアフロセントリック
これつまりL.LからQティップ
ECDはバナリパ着てJB’s
シーンの流れにそって身につける
服も変わってく刻一刻

ニューエラもUSのHIPHOP、特にNYのシーンのメタファーともとれる。

自分がずっと聞いてたアメリカのヒップホップへのあこがれやコンプレックスを示唆しつつも、誰かのマネではなく自分の個性を生かした曲作りができているからこそ「昔からにあわねんだ」と歌えるのかもしれない。

『ECDの東京っていい街』などは、リリースされた時とはまた違った意味でまさに「今」の我々に響くだろう。

東京ってもうだめなのかな、Babyちゃん、だめなのかな。
さっさと外国行っちまうんだ。
とっとと遠く行っちまううんだ。
ニューヨーク ジャマイカ
音楽なんか好きなやつにゃ、問題外の外なのかここは
おいら好きだけどなあ そりゃ、バカは多いけど生まれた街だ

家 車 ある人には仕事場だけありゃいいのかな

東京ってもうだめなのかな、Babyちゃん、だめなのかな。
日本ってもうだめなのかな、Babyちゃん、だめなのかな。
地球ってもうだめなのかな、Babyちゃん、だめなのかな。

そんなことないっていってくれよ!Baby ちゃん!
いってくれよ、いってくれよ、いってくれよ。

味のあるライムが愛されていたECDだが、決して朴訥なだけのラッパーではなかった。

▽ECDのロンリー・ガール feat. K DUB SHINE

『ECDのロンリー・ガール』は、ECDのクラシックの1つだ。

hookは佐東由梨『ロンリー・ガール』(1983年)、トラックはMarvin Gayeの 『Sexual Healing 』をサンプリングしていることは有名だ。

今日もセンター(街)
毎晩ナンパ待ち
ロクな奴いないのにこんな街
そんなパンク共に
何度もBitchなんて呼ばれ 
道の敷石 
ケツッペタ付けたつけたまま立ち上がれ
マジな話 早く立ち上がれ
これちょっとシリアスだけど盛り上がれ

今日もセンター(街)
毎日テレビカメラ
すっかり主役気取りお前らは
時はゆくゆく 乙女はババア
まだ終わらない あなた人生
八十年も生きんだぜ女性
次第はめられてく手かせ足かせ
外す盾のマスターキー探せ

90年代後半は、援助交際やブルセラなど若い女性の性の乱れが問題視されていた(買春をする大人の男性への問題意識はそれに比べるとずいぶんと希薄だった)。

そういったモチーフは映画・ドラマ・音楽で多く登場したが、素行不良を問題視したり、家庭不和の少女が援助交際に走るまでをフェティッシュに消費していたものが多かった。

ECDのロンリーガールは、長い人生を自分で歩むために自分で立ち上がることが大切だと説いている。

2005年には、加藤ミリヤがロンリーガールの視点からアンサーした「ディアロンリーガール」をリリースし大ヒット。

2017年には「新約ディアロンリーガール」として、無敵だった少女時代を振り返りつつ大人として若い世代の背中を押す側になっている。

さらにECDが新録のラップを披露したことでも話題となった。

今日もセンター(街)
毎晩ナンパ待ち
ロクな奴いないのにこんな街
繰り返される同じ過ち
そろそろ下せお前らがジャッジ
わかってんだろ 早く立ち上がれ
これちょっとシリアスだけど盛り上がれ
20年経ってもかわりゃしねえ

▽The Bridge 反レイシズムRemix

触れさせやしねえあの娘に指一本
涙でその頬濡れさせやしない
触れさせやしねえあの娘に指一本
涙でその頬濡れさせやしない

足すくむ震え止められない
わめき声「殺せ叩き出せ」って聞いて
泣き出すの無理ねーだって自分が今
大好きなアーティストがスターがアイドルが
何人かどーかでそんないわれかた
どんだけ悲しい悔しい恐ろしい
そいつがレイシズム そしてヘイトスピーチ
こんな世界があっていいわけがねー
いいわけがねー
いいわけがねー
触れさせやしねえ触れさせやしねえ
あの娘にあの娘にたとえ指一本
触れさせやしねえ触れさせやしねえ
あの娘にあの娘にたとえ指一本

ECDとイルリメが久しぶりにタッグを組んだのが「The Bridge 反レイシズムRemix」だ。

楽曲がリリースされた2013年当時、朝鮮半島出身者への排斥運動が特に東京や大阪のコリアンタウンを中心にさかんに行われていた。

リベラルが正義と言いたいわけではないが、特定の民族に対して死ね、殺すなどと極めて暴力的なフレーズを叫びながら街を練り歩く様子は異様で恐ろしかった。

一方、ECDが同調していたカウンターとなる団体も過激で色々な問題が派生したが、宇都宮健児氏が人権救済を申し立て、社会的に問題視する声が高まったこともありヘイトスピーチ規制法が制定されるきっかけとなった。

これらの動きから、当時ECDについて「過激な政治思想を持つ人」というイメージを持った方もいるかもしれない。かと思えば、追悼文で「民主的な姿勢」を評価されたりもしていた。

どこかアナキズムの香りがする人だった。帰属意識やリベラリズムを信じるというよりは、あらゆる分断や構造の壁を壊す人という印象を抱いていた。

 

▽言うこと聞くよな奴らじゃないぞ(YEYE VERSION)

『言うこと聞くよな奴らじゃないぞ(YEYE VERSION)』は、アパレルブランドレナウンのCMソングだった朱里エイコの「イエ・イエ」を大胆にサンプリングした。

元々、イラク戦争に対するサウンドデモのために作られたという楽曲で、その後のデモでも用いられた。

オタマジャクシで街を埋めつくし
オダマサノリで道をハメはずし
通りは踊り場 用事は放り出し
ポリは怒り出す 総理に言いつけろ
ありえない景色 かつてないクライシス
渋谷どーなる 知るかグローバル
ひびけ一斗缶 たたく3時間
反戦 反弾圧 反石原

言うこと聞くよな奴らじゃないぞ

世界残酷 AIN'T NO JOKE
SHOCK連続 それをふりほどく
ひっぱりあげる倒された仲間
やっぱりポリスFuckだ人殺し
実力行使 直行鉄格子
わかっちゃいるけど路上解放区
毎度の態度悪い暴れん坊
FIGHTのRight種類ただ連呼

Moment Joonは、3回忌となる今年1月24日に追悼文を公開している。

これまでMoment Joonは曲中やインタビュー、文章でも度々ECDについて触れていたり、Passport&Garcon収録の『TENO HIRA』でのネームドロップ、『BAKA』で「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」をサンプリングしていることもあって、長らくECDのファンで強く影響を受けたと思っている人も少なからずいるだろう。

もちろん、ECDのスタイルに影響を受け、今この瞬間も度々彼の中でECDが蘇っているのは間違いないだろうが、実は生前に深い交流があったわけではなく、Moment JoonこそがECDの気持ちを動かしたのだ。

Moment Joonの住所を曲中でドロップしているが、初めておこなったのはECDだ。

ECDは間違いなく、日本語でラップをするシーンを基礎から築いた一人だ。

レジェンドでありながらも、親子ほども歳の離れたラッパーのライブにも足を運び正面からパワーを受け取る度量の大きさは、まさに彼が持つ変わらない魅力だった。

入院中でもSALUやJin Doggなど、若手の新譜チェックは欠かさなかったそうだ。

田我流との『Straight outta 138』でもhookでフレーズが引用されており、ECDのバースでは「言う事聞かせる番だ俺達が」に変化している。

​この2つの違いについて、ECD本人は以下のように述べている。


3.11の原発事故など、国内の大規模な問題を経て当事者意識がより強くなったことも原因のようだ。

 

他にも人気の曲が多くあるのにこのチョイスはちょっと「社会的」に写るだろうか?

今、この時代をもう一度思い出していただければ、きっと納得してもらえるはずだ。

OSUMIBIG-O/オオスミタケシ

OSUMIBIG-O/オオスミタケシ)はSHAKKAZOMBIEのメンバー、近年では人気ブランドMISTERGENTLEMANのデザイナーとして知られている。

グループの活動が本格的だったのは2000年代前半までだったのでもしかしたら、最近HIPHOPを聞き始めた人はSHAKKAZOMBIEを知らない人もいるかもしれない。

SHAKKAZOMBIEは1993年に結成した。SHAKKAZOMBIE、シャカとゾンビという独特な名前はキミドリのメンバーKURO-OVIによるものだそう。

クラブでの営業やライブの前座など下積みを重ね、1995年に待望の1sEP『SHAKKATTACK』をリリース。

翌年4月にはCutting Edgeから『手のひらを太陽に』でメジャーデビューし、さんピンキャンプに出演し知名度を上げる。同じ年にデビューしたレーベルメイトであるBUDDHA BRANDとのユニット、「大神」としてもパフォーマンスを披露した。

SHAKKAZOMBIEの作風は時期によって変化があるが、抒情的なメロディに内省的なリリックがファンに高く評価されている。

内省的なリリックを書くラッパーは他にもいるがSHAKKAZOMBIEはロックやバンドともよく仕事をしていたからか、TSUTCHIEが作るオリジナルなトラックによるものか、本格派でありながらどこか異質な存在感があった。

90年代後半からメジャーシーンで人気となるミクスチャー系ともまた違ってHIPHOPのスタンスのままロックイベントに出演したりと、軽やかに垣根を越えて人気バンドの数々と曲を出したりライブを開催したりしてロックファンからの支持も集めていた。

その広いコネクションを生かして、SHAKKAZOMBIEのメンバーはビジネスサイドにも積極的に進出していった。

1996年には原宿にHIPHOP居酒屋「龍宮」をプロデュース、若手ラッパーが従業員として働いたり、関係者が来店したりして賑わっていたようだ。

2000年代にはMCのOSUMIとHIDE-BOWIEがアパレルブランドSWAGGERをスタート。裏原系や恵比寿系などのストリートファッション自体が人気だったこともあり、SWAGGERも瞬く間に全国区のブランドとなる。(カニエ・ウエストもかつてSWAGGERを愛用していた)

2004年にOSUMIソロプロジェクトとして、PHENOMENONを立ち上げる。2010年の初コレクションはファッション業界からも注目されていた。(2016年に任期満了で辞職)

その後2012年からは実業家の吉井雄一と手を組み、MISTERGENTLEMANをスタート。入院してからも、亡くなる前までコレクションの作業を進めていたそうだ。

音楽への気持ちも残っており、2018年には大沢伸一のプロジェクトMONDO GROSSOの「One Temperature」に参加。

2021年1月24日敗血症のため逝去。奇しくもこの日はECDの3回目の命日だった。

▽手のひらを太陽に

メジャーデビューシングル『手のひらを太陽に』のhookはやなせたかし作詞の『手のひらを太陽に』のカバーと言われることもあるが、割と大胆にアレンジを利かせている。

リリックには、他にも童話や他の童謡を連想するワードが散りばめられている。

マイクを太陽に透かしてみろ
真っ赤に流れる俺の血潮(hook)

お先真っ暗なんて
言葉吐き出す奴らにくらわす一撃

出来もせずやりもせん
奴らは今すぐ
このスペースには出禁

オニさん オニさん
手の鳴る方へ
迷える羊たちよ鶴の一声

Microphon check
one two,one two,
東から西から
飛び出すブーム

Microphon check
one two,one two,
自らたたき出す
SHAKKATTACK BOOM!

手のひら突き上げて振れ
右左に空を仰げ

そして太陽を掴み取れ
みんなでHIPHOP HOORAY

▽空を取り戻した日

『空を取り戻した日』は、1997年リリースの1stアルバム『HERO THE S.Z.』に収録されている。上記のSpotifyリンクはDJ WATARAIリミックスバージョンだ。

OSUMIのフロウは勢いがあってワイルドなイメージがある、という方にこそぜひ聞いてい欲しい。

この曲はソロなのだが、彼のリリシズムが遺憾なく発揮されている。

空を奪われ 明日が割れ
心蝕む闇が生まれ
夢は枯れ 不安に慣れ
Ah 空の行方を知るのは誰?
教えておくれ
行き場失う 鳥と雲と星とオレ
1日の境が消え
捨てた時計 転がる町はグレー
登る屋根のてっぺん
イマジネーションで飛行訓練
”何も恐れず飛ぶオレ”に未練
体の中でコダマするサイレン
全て投げ出した人を見
明日は我が身 見失いそうな富
込み上げる涙飲み
もう開きたくないこの瞳
マブタを閉じたときに見えた光
探してるオレは一人・・・・・・

ヘッドフォンで一人で静かに、大切に聞きたい楽曲となっている。

確認はしていないがカウボーイビバップの最終回にも使用されているそうだ。

▽BIG BLUE (MURO’s KG Remix)

『BIG BLUE』は2ndアルバム「JOURNEY OF FORESIGHT」の収録曲だ。

2021年7月7日にリリースされたトリビュートEP『BIG-O DA ULTIMATE』で、盟友によるリミックスが作られた。

中でも『BIG BLUE (MURO’s KG Remix)』は、MVが公開されている。

昔の映像と今のレコーディング風景がミックスされ、歴史を感じながらもとても懐かしくてなんだか胸がいっぱいになってしまった。

最後に

今回、惜しくも死亡してしまったラッパーたちについて詳しくご紹介した。

知っている人もいればよくしらない人もいたことだろう。

全て読んでくださった方、当時のシーンを知る方は、彼等がそれぞれ自立した存在でありつつも、アーティスト同士で浅からぬ関係性があったことが分かるはずだ。

昔も今も交流を深め、時にぶつかり、ビーフに発展したり和解したりしてシーンは作られてきたのだ。

同時期に活躍していた横のつながりだけでなく、今現在の日本のヒップホップにも彼等の魂は間違いなく根付いている。

もちろん、我々リスナーの中にも。

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