2020年12月3rdアルバム「たひ」をもってMC松島としての活動から引退し、今年から本名で活動を始めた松島諒が4月11日に1stミニアルバム「おっさん恐怖症」をリリースした。
【おしらせ】松島諒 1st ミニアルバム「おっさん恐怖症」が発売になりました。
ぜったい聴いてください!https://t.co/BzsWtP5FWf
宜しくお願い致します! pic.twitter.com/0Ajzpk4CvP— 松島諒 (@matusima2323) April 10, 2021
「おっさん恐怖症」というフランクなタイトルではあるが、アルバムを通して家父長制、男性優位社会、ミソジニー(女性嫌悪)や陰謀論といった今の社会に暮らす全ての人に関係あるテーマをラップしている。
おっさんはすべての人の心に住まう
▽「おっさん恐怖症」松島諒
「おっさん恐怖症」では、旧来の価値観やそれをベースにした人々の視線を松島諒らしく皮肉たっぷりのユーモアを交えたリリックで表現されている。
もちろんここでの「おっさん」とは、単に年齢を重ねた男性という意味ではない。
権力がある者、または権力がなくても構造上の弱者から搾取する存在というと、現行の社会においては「おっさん」がそれにあてはまると言って相違ないだろう。
地位や名誉がある人、昔あった人、それ以外にも今我々が暮らす男性優位社会において自分を高めるために若者や女性、マイノリティに無意識な差別意識を持って強く出る人が曲中に登場する。
だからたとえ若くても男性でなくても、そういった意味での「おっさん」になる可能性は誰しも持っているのだ。(この言い方もカテゴライズのきらいがあるが)
タイトル曲の「おっさん恐怖症」ではまさにそんな「えらそうで失礼なおっさん」が、昔取った杵柄を振りかざしいい所取りをしようとする、「教育」をしてこようとする様をユーモラスかつシニカルに描いている。
スマホ持ってるくせに道に迷い
せっかく案内してあげても礼も言わねえ(中略)
でも年齢だけで威張るんじゃねぇぜ
きもちくなるためのアドバイス
結局自分がしたいだけの説教(中略)
てかそういうあんたは一体何様
才能ないのに努力不足のボロクソ
おれのため いや驚くほどほぼ嘘
見習いたい人のおいしいとこ手出す
「こういう人いるわ~」と共感して笑うと同時に、「自分も年下の人に同じことしていないかな?」と少しヒヤっとする。
「おっさんKills My Vibe」はMVも公開
つづく3曲目の「おっさんKills My Vibe」はMVも公開された。
おれは♯わきまえない女 すごく好きです
めっちゃいいと思います
だけど社会はまだまだそうじゃないっぽいすよね
どうせみんな歳上の男の話しか
ちゃんと聞かないでしょう
だから「歳上の男」として話さないといけないこともあると思うんすよね
という結局現状肯定のラインから始まって、画面内では水着姿のTikToKerと思しき女性たちがランダムに切り替わる。
「本当にこういう人たくさんいるよな~」と思わず声が出そうになった。
つまり、「フェミニズムに迎合的な態度をとっていて、時代ごとの価値観のアップデートについていけていると思っている。が、その実女性を1人1人違う個性を持った人間とは扱わずに消費し、結局自分は評価する側で社会や人権問題は他人事」と考えているのだ。
「女はわきまえるもの」という前提を肯定しているから、わきまえない女もいいですよね。俺は好きです。なんて評価できるのだ。良い悪いを判断される以前に個人として存在しているのに。
もちろんこれは女性差別だけの問題ではない、人種や宗教などあらゆる問題で同じことが起こっているし、被害者側であった人が別の問題では加害者になることも珍しくない。
この「レイシストでも権力者でもない普通の男性が持つミソジニー(女性嫌悪)」を分かりやすく歌詞にした人は、まだまだ珍しいのではないか。しかも構造上当事者とも言える立場で。
そういった意味で、この冒頭部分は個人的には宇多田ヒカルの「俺の彼女」以来の名ラインではないかと思っている。
「おっさんKills My Vibe」の主人公はその後も、古い男性優位社会の構造がもたらした問題に切り込みながら「与えられし力を正しく使っていく」。その皮肉な視線はさすがとしか言いようがない。
非実在青少年の被害と加害
「ラッキースケベは男のロマン」では、国民的アニメの入浴シーンを例に性加害について加害者・被害者の親・被害者の3つの視点から描いていく。
本作では社会的なテーマを扱いながらも、ユーモアが散りばめられた曲が多いが「ラッキースケベは男のロマン」のリリックは1語1語が重たく、まずはなんの説明もなく聞いて考えて欲しい。
近年特にアニメの登場人物の描かれ方は議論になる。「変身シーンや入浴シーンをカットすべきでは?」「表現の自由を侵害する行為では?」という論争も起きる。
どうだろうか、フェティッシュな表現の自由は住み分けなくこれまで通りに守られるべきだろうか?搾取の構造は今までと一緒でいいのだろうか?
最後の「Qダブシャイン -1989remix」は、以前YouTubeチャンネルで公開した音源とメッセージ動画を組み合わせ新録されている。
確実に業界内で認知されているマターでありながら、曲や動画を作ってここまで正面からdisをしたラッパーはいなかった。
「空からの力」時代を思わせる英語を使わず固く踏む導入部分や「公開処刑」「口から出まかせ」のリリック、かつてビーフを繰り広げたdev largeのラインを織り交ぜていることからもリスペクトが感じられる。
「おっさん恐怖症」は、他にも松島諒を堪能できる曲が収録されている。
気負わずに聞けるのでつい笑ってしまったり、鋭い指摘に自分を顧みたりと何度も何度もアルバムを通して聞きたい作品となっている。