今やフリースタイルダンジョンのラスボスとして、日本語ラップ界を牽引し続けている孤高のラッパー。そう、彼の名は最ッ低のMCこと、般若だ。そんな彼は2019年1月、遂に一流アーティストの証である武道館のステージでワンマンライブを行う。ヒップホップ戦国時代とも言われる2000年代前半(細かく言えばちょうど2000年)に誕生した妄想族に所属していた男は、まさか18年後に武道館のステージに立つとは思っていなかっただろう。日本語ラップ界でも熱き志を持つ、男気溢れる般若。彼の生き様を改めて振り返っていこう。
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複雑な家庭事情、そして「いじめ」
昨年、ヒップホップアーティストとして最年少で武道館ワンマンライブを行ったBADHOPに続き、いよいよ日本語ラップ界を支えてきた般若もあの場所へ。この瞬間を待ちわびていたのは、当本人だけではない。恐らく、多くのヘッズ達が嬉しく思っているだろうし、なんならこれは1つの事件でもある。それはなぜか?近年、フリースタイルダンジョンを始め、ヒップホップがようやく日本人に馴染んできたのは、少なからず彼のおかげでもあり、今の若手ラッパーやヘッズ達の背中を押した原動力だからだ。
さて、そんな般若は幼き頃にいじめに遭っていた事実をご存知だろうか?
あの強面かつ魂から込み上げるフロウや振る舞いを目の当たりにすれば、そんなわけないでしょ。と思う人もいるだろう。でも、それは様々なルーツがあったからこそ。
東京・世田谷は苦痛だった
日本と韓国のハーフとして生まれた般若は、東京は世田谷区出身。三軒茶屋と言えば、セレブがお忍びで訪れる飲み屋があったり、ワンランク上のファミリーやカップル達が住む街のイメージがあると思うが、実は華やかな一面だけではなく、かつては貧しい生活を送る人も多くいた街としても知られている。そう、その1人が般若である。
幼き頃は保育所としても活用されていた般若の家。保育園から小学低学年の頃には既に父親がおらず、母親はその保育所で働きながら、少年・般若を育てていたんだとか。そんな複雑な家庭事情を持つ般若は、小学一年生の頃からいじめの標的に。ある時はプールに沈められたり、ある時は蹴っ飛ばされたり。そして、チャンバラと称して木の枝で叩かれ、終いには失明になりかけるほどの暴力を受けたという過去があった。
これは2018年に発売された自伝本「何者でもない」で語られた内容だが、彼の熱きリリックに心が動かされるのは、こういった死を覚悟した壮絶な体験と真実があるからこそなのだろう。
ラッパー般若が誕生した
そんな少年時代を過ごした彼は、当時から「殺す」という言葉がフツフツと湧き出るようになり、高校生からラッパーとして反撃の狼煙をあげる。そう、般若がラップを始めたのは高校生の時。同級生であったフィメールラッパーのRUMIから韻の踏み方を教わり、YOSHIという名でRUMI、DJ BAKUと一緒に「般若」を結成(後にアーティスト名がこの般若になる)。当時、RUMIはMCバトルなどフィメールラッパーとしての存在感を発揮していたが、般若自身も負けていなかった。大先輩でもあるZEEBRAに本人をディスりまくったデモテープを送りつけており(正確にはRUMIがクラブで渡した)、ラジオでも舐めたスタイルで電話出演していた。しかし、その後にこの2人がフリースタイルダンジョンでオーガナイザーとラスボスという関係になるなんて、この時は想像もしてなかっただろう...。
(出典:般若17歳Zeebra達に送り込んだDisデモテープ!!『あぁ?てめぇがラップ作ったんか?』)
兎にも角にも、ラッパー般若はここからスタート(実はその前にDJをやっていたが、マイクを持つスタイルへシフトチェンジ)。この頃は公園や学校の昼休みを使って1人フリースタイルの練習をしていたりとコツコツとスキルを磨いていったそうだ。また、ラップを始めて1ヶ月ほどで見に行ったイベントのステージ上(YOU THE ROCK☆に触発されて)でフリースタイルをカマしたことを2010年のワンマンライブで述べている。
(出典:般若 HANNYA 最ッ低のMC Crummy's MC Teaser DVD Live at 渋谷 Shibuya O-EAST 8.27)
妄想族へ加入
そして、暴走族の三軒茶屋愚連隊から生まれた妄想族を結成したことで彼の人生が大きく変わる。2000年代、日本のヒップホップシーンはソロという形よりも複数人によるグループとして活動することが多く、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDや韻踏合組合といったポップとは無縁のクルーがいた。そんな中、妄想族もまた般若を始めDEN、ZORRO、剣桃太郎など、総勢8人でデビューすることに。この妄想族、当時はかなり怖い存在で...あらゆるイベントに殴り込みに行くスタイル(いわゆる"カチコミ")でライブジャックしていた。
まぁそうでもしないとこの時代は戦争のようなものなので、どんな手を使ってでも名を売ることが重要!ということなのでしょう。これもまた暴走族時代の名残があったのかもしれない。
そんなこんなで、般若は妄想族として名を馳せることに成功し、2003年からソロ活動を開始した。ちなみに、妄想族は自身のステップアップのため2014年には脱退している。
(出典:B-BOY PARK 2000 妄走族)
ソロ活動後
2003年からのソロ活動後は般若らしい階段の上がり方をしており、同年にはMCバトルのB-BOY PARKにも出場。この時に2代目モンスターFORKと対戦し、大荒れの試合内容となったのは今では伝説的なことでもある。2005年にはアルバム「根こそぎ」に収録された"やっちゃった"や"花金ナイトフィーバー"がヒップホップファンのみならず若者を中心に大ブレイク。メッセージ性が高く、渋みのある楽曲とは全く正反対の路線なので、当時は般若ってなんでもできるのか...!と思いながら聴いていたのを思い出しますね。また、憧れの長渕剛との共演もこの頃に実現。まさにヒップホップ界を背負う人物として、少しづつ貫禄が出てきたと言えるだろう。
ちなみに、ゴリゴリに筋肉を鍛えてるのは長渕剛に鍛えろ!って言われたからなんだとか。にしても、サプリブランド・HALEOがスポンサーになるほどの仕上げ具合は、もはやアーティストではなくアスリートである。
(出典:【Official Video】般若 / 黙ってやれ [Dir. BABEL LABEL / Prod. SPACE DUST CLUB] (P)(C)2018 昭和レコード)
さぁ武道館前に予襲復習せよ!
ということで、今回は「バイトじゃねぇ!ヒップホップに就職!」な般若が歩んできたラッパーの道をスーパーダイジェストでご紹介したが、人生の半分をラップに捧げた男の生き様を1つ1つ振り返ると、とんでもない時間がかかるほど色んなことが詰まっている。言わば、般若の話はファミレスで朝まで語れるってやつですね。そんな彼の武道館ワンマンライブ、行くよ!というヘッズはもちろん、行けない...という残念なヘッズも2018年1月11日は"般若が武道館に立った日"ということを今後も忘れないでおくべし!
きっと彼は、少年時代の自分を思い出しながら、息子たちの笑顔のために。そんな想いで武道館に立ち、今後も戦い続けるだろう。
(出典:【Official Video】般若 / ぶどうかんのうた[Dir. HAVIT ART STUDIO / Prod. KIWY] (P)(C)2018 昭和レコード)
武道館ワンマンライブ参加ラッパーの声
DOTAMA
15年前、般若さんのおはよう日本を聴いていた自分に「将来お前は般若さんの客演で武道館のステージに登ることになる」と言っても信じないはずだ。でも言ってやりたい。最大の感謝と尊敬を。おはよう武道館。出演させて頂きます。https://t.co/DfphXMgjjV pic.twitter.com/6neqcLrzsu
— DOTAMA@2/17@渋谷duo (@dotamatica) 2019年1月10日
CHICO CARLITO
中学生の時、般若の「やっちゃった」を聴きながら、友達とサッカーボールを蹴ってた。13年経って、明日般若さんの武道館ワンマンで、バースを蹴りに行く。楽しみです🌺 pic.twitter.com/yII2VD6jFw
— CHICO CARLITO (@unten1993) 2019年1月10日
サイプレス上野
いよいよ明日!!!遂に武道館!!!
般若くんに初めて会ったのはOZROの横浜BLITZ。マッチョ君に紹介してもらって振り向きざまに
「君かぁ⁉︎」
の一言目は未だに鮮明に脳裏に焼き付いています㊙️ pic.twitter.com/iRVgWgBbmn
— サイプレス上野 a.k.a.SOS SEX (@resort_lover) 2019年1月10日
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